ヨルノマチコワイネ

ご飯を求めて彷徨う夜の繁華街

 

話しかけてくる女の人たち

ミニスカポリスやバニーガール

制服姿やOLさんまで

みんなかけてくる言葉は一緒

 

 

「お兄さん、このあと一軒どうですか?」

 

 

 

甘い香りとお金のにおい

お得意の気配を消すスキルも全く効果無し

確かにちょっと怖かったんだけども

 

話しかけてもらえるのはなんか嬉しかったりもした

 

あぁ、きっとこれが、寂しいということなのだろう

少しだけ感情を取り戻した気がするネバーエンディング加藤です。笑

 

 

冗談はさておき!

仕事って何なのかな、って最近よく考えます。

 

お金をもらうこと

嫌なことをすること

働くことは生きることby大前春子(ハケンの品格)

 

 

どれもきっとそうなのでしょう。

何が正解という話でも無いのだけれど

僕にとっての仕事って

批判をされることだと思うんですよね

 

自分の仕事に対して他人の評価を受けること

それが良い言葉なのか、悪い言葉なのか

あるいは言葉ではなく何かの数字としてなのか

 

 

受けた批判に対してどう自分が行動するか

そこに仕事としての楽しさがあるんじゃないでしょうか

 

そう思うと、もっともっと批判をされたい!

そんなことを考えてしまう私はドMなんでしょうか?ねぇ?どうなんですか!??笑

 

 

もちろん評価を全て真に受ける必要はないし

そこは慎重に吟味するべきだと思うが

他人から評価を受けることって

とてもありがたいことだと思います

 

無反応、という反応

評価に値しない、という評価

 

新しく仕事を始めようというときに

真っ先に壁となるこの2つ

 

乗り越えるのは大変だし

その先もまだまだ長いんだけど

そこに仕事の楽しみがあるって

僕は信じてみようと思います

 

 

お腹も膨れて車に戻ろうと思う深夜0時過ぎ

また来た道を帰らないといけない。

 

夜の賑わいを眺めながら

帰りはそっと、耳にイヤホンを詰め込むことにする

 

 

 

よくある質問Q&A

「なんでベースを選んだんですか?」

色々なところでよくされる質問。

 

これを聞かれるたびに

弦が4本でギターより簡単そうだから

学祭で見てかっこいいと思ったから

 

と大体答えてはいるのだが、これはそうであってそうではない。

 

確かにそう思ったこともあるので全くの嘘ではない

真実ではあるのだが核心を捉えていないような気がする

 

というのも、正直言って

なんでベースを選んだのかはよく覚えていない

気づけば好きだったし、買っていた

自分でも謎なのである。

 

 

僕の実家には、両親のモノだが

アコースティックギター

アコーディオン

ものを置く机と化した電子ピアノがあった。

 

どれもなんとなく触ってはいたが

全くと言っていいほど弾けない。。

ただの騒音しか出せず

親にうるさいと怒られたこともある

 

家には古いカセットテープやCDがいくつも置いてあり

今にして思うと両親共に結構音楽が好きだったんだと思う。

 

おかげで僕が生まれる前の曲でも

なんとなく知っているものも多かったりする。

 

僕が本格的に音楽を聴くようになったのは

姉による影響が大きかったように思う。

 

(確かONKYO製の)コンポがある姉の部屋には

今では知らない人も多いであろうMDがたくさんあった

 

バンドのものも多く

バンプアジカン

ストレイテナーなんかを姉経由で聞いていた

 

たまにこっそりMDを持ち出しては

受験勉強のお供にしていたのが懐かしい

 

そんな音楽好きの姉が、時たまベースというワードを言っていたのが

僕がベースという楽器を知ることになったきっかけだったと思う。

 

僕はそれまでそれぞれの楽器の音に注目して

音楽を聴いてはいなかったのだが

ベースが良いと姉が言っていた東京事変を試しに聴き

なるほどこれがベースか!と思ったことがある

 

そこからは他のアーティストさんの楽曲を聴く時にも

なんとなくベースの音を探し

なんとなくベースばかりを聴いて

なんとなくベースが好きになっていった

 

きっかけなんてのはきっとなんとなくで良いんだと思う

 

誰かに言われたからとか

やらなきゃいけない仕事だからだとか

理由なんてなんでも良いんだろうなって思う

 

何か一つでも自分が好きだと思えるものがあれば

それだけで人生ハッピーハッピーじゃん?

 

だから僕はベースを選んだのでしょう

とてつもなく曖昧な選択だけれど

この上なく幸せな選択

 

後悔のない人生なんてどうせないんだから

後悔しても諦めのつく人生にしたいと思います

 

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しばらくサボってましたごめんなさい。

およそ三ヶ月ぶりくらいでしょうか。

言い訳は色々あれど

ブログ更新をさぼってしまいまして。。。

 

 

誠に申し訳ない!!!!!!!!

 

 

 

 と一応謝ってはおくが

こんなブログ

どうせ誰もみてないんだから

っていう水曜どうでしょう的なスタンスで

これからはゆるーーく

やっていきたいと思いますので

 

よろしくねっ!!

 

 

 

 

 

この三ヶ月、全く何もしてなかった

というわけではないんですよ!

てなわけで、、、

 

家族が増えました!!!

 

人間じゃなくて猫なんですけどね。笑

 

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名前はハル、男の子です。

元が野良なのか捨て猫なのかは

よくわからないのですが

とっても人懐っこいので

おそらく捨て猫なんだと思われます。

 

 

僕の友達の家に急に現れたハルちゃん

庭に住みつくようになったのが

ちょうど春くらいだったので

そのまま名前はハルになったそうです笑

 

家の中にも入ってくるようになり

すでに猫を数匹飼っていた友達宅の

先住猫たちがビックリしたようで

ハルちゃんを見ると

逃げ出したり

 怯えて隠れて出てこなくなったり

先輩猫さんたちは大変困っていたようです。。。

 

 

そこから紆余曲折あり

気付いたら我が家で保護することになりました!

 

もちろん色々悩んだし

現実的な問題もあったりしましたが

いろんな人の協力もあって

なんとか今に至ります

 

 

最初に保護した友達の話だと

4月くらいに病院に連れて行った時に

多分生後半年くらいだと

先生に言われたみたいなので

今で九ヶ月くらいでしょうか

 

元気いっぱいわんぱくな時期ですが

とっても優しい猫ちゃんで

悪さは全然しないし

膝に飛び乗ってきたり

抱っこしてもあんまり怒らない

甘えん坊さんです

 

ちょっと図太いところもあって

我が家に来て初日

1時間もたたないうちに

僕のベットで無防備に寝始めました笑

 

君の野生はどこに行ったんでしょうね。。

 

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まだまだ色々と

心配なことも多いですが

新米飼い主としてやれるだけのことは

やってあげたいと思います!

 

周りのサポートにはいつも感謝です!

ありがとうございます!

 

 

 これからも二人五脚で頑張っていこうと思います笑

バンド界隈にも結構愛猫家多いんで

色々アドバイスお願いします!!

ではでは!

 

p.s おすすめのフラットワウンド弦あれば教えてください!

 

 

自己肯定感と集中力

自己肯定感が全然ないような時代が僕にもありまして。。

何をしていても自分に対して否定的な考えを持ってしまう人って、いますよね?

僕もそういう一人でして、それで色々と迷惑をかけたようなこともあったのですが、この自己否定の感情や自己肯定感の低さっていうのは人生においてネガティブな効果を多く生み出してしまう原因になります。

これは脳科学の面からも証明されており、自責の念が強い人ほど脳の灰白質が少ないというデータがあります。灰白質というのは人の感情をコントロールする神経細胞が集中した部分であり、これが少なくなるほど集中力が下がるというわけです。

灰白質はもともとストレスに対して弱いのですが、例えば集中力を上げたいと思ったがなかなか思うようにいかず、自分には無理だとか、全然頑張りがたりていないんだ、などの思いに囚われてしまうとそれがストレスになりかえって集中力が落ちるという負の循環になりかねません。

なので集中力を上げたいと思った時に、まず自己肯定感を高めるというのは土台づくりとして必要なことだったりします。

 

具体的に自己肯定感を上げるための方法として、セルフ・アクセプタンスと呼ばれるものがあります。心理療法などでもよく使われる方法ですが、意味はそのまま自分を受け入れるということです。

レーニング法はいくつかありますが、例えばセルフイメージングと呼ばれる方法では、まず失敗して落ち込んでいる自分の姿を思い浮かべてください。そこに優しく思いやりのある友人があなたに声をかけてきたとします。その友人が言った内容というものを注意深く観察し紙に書き出してみましょう。

ものすごくシンプルな方法ですが、どうでしょうか。自分に対しては厳しくあたってしまう人でも友人に対しては優しく接してしまうものです。

失敗から素早く立ち直り次に進むには使えるテクニックだと思います。

 

自己批判の感情というのは自己防衛の面から見れば当たり前の感情であると見ることもできます。

つまり、少なくても自分が無能であることには気付いている、自分は全く集中力のない人間だ、と周りに自分から伝えることで他人からそのことについて非難される機会を減らし他者に受け入れられようとしてもらうわけです。

これは非常に合理的な判断であり、世のすべての自己批判というのが悪ではないということです。

ですが、何事においても自己批判を続けていくと、前に進めなくなってしまいます。

自己肯定感の回復には多少の時間がかかるかもですが、より生きやすくなるためのスキルとして、セルフアクセプタンスやセルフコンパッションのやり方を知っておくのはこれからの時代は特に必要なことのように思います。

より詳しく学びたい方におすすめの本を紹介しておきますね。

ではでは〜。

 

 

 

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法

 

 

 

 

集中力1.0

最近は生活リズムが崩れ気味なのでなんとか元に戻したい加藤です。

今日のテーマは集中力です。

皆さん集中力には自信がありますか?

 

今回の話で触れるのは、集中力を上げる方法としてよく取り上げられている、タスク管理術とか、環境づくりの話とか、フロー状態への入り方のようなよくある集中力アップ本に書かれているような内容ではありません。

そもそも集中力とは何か?という根本の部分を話していけたらなと思います。

 

まず初めに、一般に「集中力」と呼ばれるスキルは人間には備わっていないという話があります。そもそもそんなものは存在しないんじゃないか?ってことです。

えっ?!と思う方もいるかもですが、例えば考えてみてください。

学生の頃に嫌だった夏休みの宿題に皆さんはどうやって取り組んでいたでしょうか?

僕なんかは、最後の週にまとめてこなすタイプだったのですが、それでもプリントを開いてはテレビに目移りし、教科書をカバンから取ろうと思って気付いたらマンガを読んでいたりするようなことがよくありました。笑

いざ宿題に手をつけ始めてもそこに意識を向け続けることがとても嫌でした。。

 

そんな僕の夏休みの流れを振り返った時に、一般に僕は集中力のない子と言えると思うのですが、集中力というのは異なる複数の能力を組み合わせたものであるということに気付いてもらいたい。

つまりこの場合だと、僕のスケジュールやモチベーションの管理能力、注意の持続力(アテンションコントロール)、セルフコントロール能力といったいくつものスキルが組み合わせたものが集中力と呼ばれるものなのです。

 

だからなんだよ!って思うかもですが、こうして自分の集中力を細分化することで自分に足りていないスキルがどこなのかが明確にわかります。

より具体的に捉えることが可能になるのです。

集中力アップ本に書かれていることに効果があるのは、このそれぞれのスキルに関して深掘りしたものが多いからなのではないでしょうか?

本を選ぶ際には自分が欲しいと思うスキルについて具体的かつわかりやすく書かれたものを選ぶと良いと思います。

 ここで理解して欲しいのは集中力に関する正しい認識と、それは誰でも鍛えたり習得することができるものだよってことです。

次回からは集中力を得るためのスキルについて具体的に一つずつ触れていこうと思っています。

というわけで、次回、自己効力感編に続く。

ではではー。

 

日常と生活

皆さんは「生活」は得意でしょうか?

僕はどちらかと言うと得意な方なのかもしれませんが、生活というのがあまり好きではありません。

なんで人は飯を食わなきゃいけないのか。ちゃんと寝て、掃除や洗濯をしないといけないのだろうか。そんなことせずに好きなことを好きなだけできたら、なんて素晴らしいのかとそんなことばかりを考えていたことがある。

僕は仕事というのは好きだ。正確には働いてお金を稼ぐということが好きだ。

お金の多い少ないはそこまで関係がない。いや、それは多ければ多い方が嬉しいが。。

とにかく、自分のやったことに対して相応の報酬が支払われるのが好きだったりする。

 

そんな仕事ばかりしていたい僕ですが、残念ながら生活というものからは逃れられないのである。

家事代行サービスなんてのもあるが、そんなものを雇う余裕もないし、雇ったところで生活から完全に解放されるわけではないのだ。

そんなことを考えながら今日もまた洗濯機を回す。

学生寮のようなこのアパートでは、洗濯機というのは奪い合いである。

大体人気の時間は朝一と夕方以降だ。みんなの生活リズムの正しさを感じながら、比較的誰も使っていない真っ昼間に僕は贅沢に2台の洗濯機を同時に回したりもする。

なんという贅沢さだろうか。この前、洗濯機が埋まっていてちょっと怒っていたおじちゃんがみたら怒鳴り散らされること間違いなしである。

 

ここ最近、僕はまた自炊を始めたのだが、それもどちらかというと面倒極まりない。

確かに美味しいし、節約にもなるし、料理自体は好きなのだが、この料理を食べるのは自分で、誰からも報酬は得られない。満たされるのは自分のお腹のみだ。

そう考えると僕は料理人気質なのだろうか。人に作って喜んでもらう方が料理する気にもなる。自分の分はスーパーのお惣菜で十分だと思っている。いや、高いけど。

 

掃除はたまに気が向いたらする感じだ。

ゴリゴリのパンクロッカーのような足の踏み場もないくらい散らかった部屋ではないのだが、それでも幾分かは汚れていると思う。一般的な男性の一人暮らしよりは上のレベルの汚さだと自負している!自慢できたことじゃないが。

いつも綺麗に整ってるのは仕事スペースとして決めている机周りだけだ。

ただ、気が向いた時の掃除はすごい。徹底的にピカピカにしたくなってしまう。

ただ腰が重たいだけなのだ。掃除とは衝動だと思っている。

 

 

そんな変わらない生活を続ける反面、周りの風景っていうのはどんどん変わってきてしまっている。それもなんだか悪い方に感じる。

新しい日常、などと世間では言われているようだが、僕には到底受け入れがたいものばかりだ。

どこにいくにもマスク。人との距離には気を付け、人の近くで咳やくしゃみをしようものなら、まるで人類悪のような目でみられる。

生きるために仕事をすれば、自粛警察なんていうよくわからない人たちが嫌がらせをしてくるらしい。一体誰が自粛警察なのだろうか。わかりやすくツイッターのプロフにでも自粛警察やってますと書いておいて欲しい。

飲食店なんかでもアクリル板が設置されていたりして、もしかしたらこの先、ほぼ全ての店が一蘭の味集中カウンターのようになるんじゃないかと思うと、悲しくなってくる。

従業員の顔もマスクでよくわからないし、なんだか前と違う店にきたような気がしてしまう。温かみが感じられない。

この間テレビで見たのだが最新のお店ではほぼ接客がないらしい。

タブレット端末や自分のスマホで、席がご案内されたり注文をとったり。

帰りも自動支払機にpaypayして終わり。なんとも味気ないシステムだ。

僕は定食屋での「今日ご飯余ってるから大盛りにしとくねー」からのレジでの支払いの時に

「ほんとに大盛り分払わなくていいんですかー?」

「大丈夫大丈夫!もったいないからねー!」

という会話があったりするのが好きなのに、新しい日常はこれを否定しているのだろうか。いやそんな未来は訪れないだろう。訪れないで欲しい。

 

ライブハウスもまだどうなるのかがさっぱりわからない。

長い長い自粛期間を経て、最大限の感染対策をしての営業再開となるのだろうが、お客さんとの間隔も指示され、昔のように大声で歌って騒ぎながらライブを楽しむということが果たしてできるのか。

配信ライブが主流になってくるという見方もあるようですが、僕はお客さんの顔が見えた方が、嬉しいなぁ。お客さんの立場としても、たまには生で見たいよなぁと思ってしまう。

これまでのようなライブハウスとしての営業が続けばいいなーと思うところだが、実際は変化を求められてるし、新しい日常というものの最たるものなのかもしれない。

僕の見ている中で、一番風景が変わりそうなものがライブハウスだ。

良い方向悪い方向がまだよくわからないが、大きな変化がやってくるのは怖いものである。

 

変わっていく日常と、変わらない生活。

生活の中から見えてくるのは、どうでもいい与太話だったり、ほんとになんでもないような気持ちなのかもしれないけど、変わらない日々ということ自体に意味があるのだろう。

変わらないの中には愛があるのかもしれない。

そう考えたら、毎日の生活というのも愛おしく思えてくる。

ありがとう生活。どうか変わらないでいてほしい。

ちょっとだけ生活が好きになる。そんな洗濯時間でした。

ではでは〜。

 

心理学って面白い

皆さんは占いや姓名判断なんかは信じるだろうか?

あるいは心霊スポットだったり、血液型による性格の違いなんかを信じているでしょうか?

 

人って一度そうだと思い込んでしまうと、なかなか意見が変わらなかったりしますよね?

こういった状態を心理学の世界では確証バイアスがかかってると言ったりするのですが、バイアスというのは、先入観や信念に従った事実を知識・記憶し、そうでない事実は無視したり自然と目に入らないようにしてしまいます。

歳を取れば取るほど、考え方が凝り固まるのはこの確証バイアスが原因なのかもしれませんね。

巷で有名なダイエット法とか、高価な美容品とかも、なんか効くかも!と一度思ってしまえば最後。どんな些細なことでもその効果を感じた部分にばかり目がいくのではないでしょうか?

 

バイアスは簡単に避けれるものではなく、自分にバイアスがかかっていることにすら気付かないことの方が多いように思いますし、それが自然でしょう。

ですがバイアスというものの存在を知っているかいないかで、その人の考え方は大きく変わると僕は思っています。

 

例えばふとした時、自分が普段とっている行動や信念に目を向けたとします。

そう言った時に、もしここでバイアスという存在を知っていれば、自分と正反対の行動や信念を持つ人にも目を向けることができます。

バイアスに支配されてしまっていては、他人の意見は相入れないものとして評価の対象にはなり得ないでしょう。

物事を柔軟に考えるためには、バイアスという存在を認知し、どんなバイアスが自分にかかっているのかを意識する、そして他の幅広い意見に目を向けるというプロセスが必要なのではないでしょうか?

 

これと似たような考えでクリティカルシンキングという考えがあります。

「クリティカル」とは「批判的な」とかって意味なのですが、なんかドラクエとかでこの言葉を見ると嬉しくなりそうな言葉ですよね?笑

「批判的な考え方」と直訳すると、よくワイドショーとかで見るしょーもないコメンテーターとか評論家みたいのが目に浮かんできそうですがそういうことではありません。

クリティカルシンキングとはつまり、物事の前提条件から疑いの目を向ける考え方のことを言います。

 

例えば職場の仕事の進め方や取り決まりなどのシステム的な部分や、自分の生き方まで、その元となっている条件や信念に対して疑いの目を持ちそこに新しい解決法ややり方を見出すことを言います。

物事の解決を図る際に自然と従っている条件に対する批判を行うのです。

そんなことをしたら、全ての物事に対して批判的な意見を持つことになってしまわないかと思うでしょうが、大事なのはその考えを行動によって評価することです。

そもそも実現不可能なアイデアは捨てるか実現可能になるまでストックとして持っておき、実現可能なものは行動によって試し、評価することで意味を成します。

何事も行動が大切だと言いますが、クリティカルシンキングも行動とセットにして使って初めて真価を発揮します。

 

今回紹介したバイアスやクリティカルシンキングはなかなか実戦で使うのは難しかったりすると思います。

「俺にはバイアスかかってないから」とか「私はクリティカルシンキングができている」と自分で言うような人は大体嘘が多いので気を付けましょう。笑

常に冷静に、自分を見直す時、何か状況を打破したい時、是非活用してみていただきたいスキルです!

いや〜、心理学って面白いなぁ。。

ではでは〜。