日常と生活
皆さんは「生活」は得意でしょうか?
僕はどちらかと言うと得意な方なのかもしれませんが、生活というのがあまり好きではありません。
なんで人は飯を食わなきゃいけないのか。ちゃんと寝て、掃除や洗濯をしないといけないのだろうか。そんなことせずに好きなことを好きなだけできたら、なんて素晴らしいのかとそんなことばかりを考えていたことがある。
僕は仕事というのは好きだ。正確には働いてお金を稼ぐということが好きだ。
お金の多い少ないはそこまで関係がない。いや、それは多ければ多い方が嬉しいが。。
とにかく、自分のやったことに対して相応の報酬が支払われるのが好きだったりする。
そんな仕事ばかりしていたい僕ですが、残念ながら生活というものからは逃れられないのである。
家事代行サービスなんてのもあるが、そんなものを雇う余裕もないし、雇ったところで生活から完全に解放されるわけではないのだ。
そんなことを考えながら今日もまた洗濯機を回す。
学生寮のようなこのアパートでは、洗濯機というのは奪い合いである。
大体人気の時間は朝一と夕方以降だ。みんなの生活リズムの正しさを感じながら、比較的誰も使っていない真っ昼間に僕は贅沢に2台の洗濯機を同時に回したりもする。
なんという贅沢さだろうか。この前、洗濯機が埋まっていてちょっと怒っていたおじちゃんがみたら怒鳴り散らされること間違いなしである。
ここ最近、僕はまた自炊を始めたのだが、それもどちらかというと面倒極まりない。
確かに美味しいし、節約にもなるし、料理自体は好きなのだが、この料理を食べるのは自分で、誰からも報酬は得られない。満たされるのは自分のお腹のみだ。
そう考えると僕は料理人気質なのだろうか。人に作って喜んでもらう方が料理する気にもなる。自分の分はスーパーのお惣菜で十分だと思っている。いや、高いけど。
掃除はたまに気が向いたらする感じだ。
ゴリゴリのパンクロッカーのような足の踏み場もないくらい散らかった部屋ではないのだが、それでも幾分かは汚れていると思う。一般的な男性の一人暮らしよりは上のレベルの汚さだと自負している!自慢できたことじゃないが。
いつも綺麗に整ってるのは仕事スペースとして決めている机周りだけだ。
ただ、気が向いた時の掃除はすごい。徹底的にピカピカにしたくなってしまう。
ただ腰が重たいだけなのだ。掃除とは衝動だと思っている。
そんな変わらない生活を続ける反面、周りの風景っていうのはどんどん変わってきてしまっている。それもなんだか悪い方に感じる。
新しい日常、などと世間では言われているようだが、僕には到底受け入れがたいものばかりだ。
どこにいくにもマスク。人との距離には気を付け、人の近くで咳やくしゃみをしようものなら、まるで人類悪のような目でみられる。
生きるために仕事をすれば、自粛警察なんていうよくわからない人たちが嫌がらせをしてくるらしい。一体誰が自粛警察なのだろうか。わかりやすくツイッターのプロフにでも自粛警察やってますと書いておいて欲しい。
飲食店なんかでもアクリル板が設置されていたりして、もしかしたらこの先、ほぼ全ての店が一蘭の味集中カウンターのようになるんじゃないかと思うと、悲しくなってくる。
従業員の顔もマスクでよくわからないし、なんだか前と違う店にきたような気がしてしまう。温かみが感じられない。
この間テレビで見たのだが最新のお店ではほぼ接客がないらしい。
タブレット端末や自分のスマホで、席がご案内されたり注文をとったり。
帰りも自動支払機にpaypayして終わり。なんとも味気ないシステムだ。
僕は定食屋での「今日ご飯余ってるから大盛りにしとくねー」からのレジでの支払いの時に
「ほんとに大盛り分払わなくていいんですかー?」
「大丈夫大丈夫!もったいないからねー!」
という会話があったりするのが好きなのに、新しい日常はこれを否定しているのだろうか。いやそんな未来は訪れないだろう。訪れないで欲しい。
ライブハウスもまだどうなるのかがさっぱりわからない。
長い長い自粛期間を経て、最大限の感染対策をしての営業再開となるのだろうが、お客さんとの間隔も指示され、昔のように大声で歌って騒ぎながらライブを楽しむということが果たしてできるのか。
配信ライブが主流になってくるという見方もあるようですが、僕はお客さんの顔が見えた方が、嬉しいなぁ。お客さんの立場としても、たまには生で見たいよなぁと思ってしまう。
これまでのようなライブハウスとしての営業が続けばいいなーと思うところだが、実際は変化を求められてるし、新しい日常というものの最たるものなのかもしれない。
僕の見ている中で、一番風景が変わりそうなものがライブハウスだ。
良い方向悪い方向がまだよくわからないが、大きな変化がやってくるのは怖いものである。
変わっていく日常と、変わらない生活。
生活の中から見えてくるのは、どうでもいい与太話だったり、ほんとになんでもないような気持ちなのかもしれないけど、変わらない日々ということ自体に意味があるのだろう。
変わらないの中には愛があるのかもしれない。
そう考えたら、毎日の生活というのも愛おしく思えてくる。
ありがとう生活。どうか変わらないでいてほしい。
ちょっとだけ生活が好きになる。そんな洗濯時間でした。
ではでは〜。